home > 写真家の現場報告一覧 > 小林紀晴(こばやし・きせい)|カメラで会いに行く
第4回 鹿児島のNさん(その1)
羽田空港へNさんを見送りに行くため、浜松町駅のモノレールの改札口でNさんと待ち合わせた。
Nさんは普段は鹿児島に住んでいて、用事があって数日間だけ東京に来ていた。今日、鹿児島へ飛行機で帰る。
少し前にかかってきた電話の向こうから、
「いま東京にいるんです」
という懐かしい声が届いた。
僕は羽田空港まで見送りに行ってみようと思った。
僕より10歳若いNさんに会うのは、約10カ月ぶりだった。彼女が東京を去る前の晩に、渋谷の友人宅で開かれた送別会以来のことだ。変わりなく、元気そうだった。
平日の昼間のモノレールの座席に向かい合って座った。窓の外はしとしと雨が降っていて、厚い雲の下で町が冷たい雨に濡れていた。街全体が泣いているようだった。やがて黒々とした運河が見えてきた。
「なんか、デートみたいだね」
二人で向かい合っていると本当にそんな気がして、僕は冗談半分に口にしてみたけど、Nさんは苦笑いするだけだった。
不思議な出会いからはじまった関係
Nさんは昨年の冬、9年ほど暮らした東京での生活を引き払い、生まれ育った鹿児島へ帰って行った。彼女がどうしてそのことを選択したのか、それまでにどのような経緯があったのかを僕は一部しか知らないし、詳しく訊いたこともない。ただ一度だけ、
「フリーで仕事をしている人は本当にすごいと思う。自分には無理だった」
と口にしたことがある。
Nさんは写真学校に在学中から精力的に作品を発表し、何度か個展を開いている。その一方で依頼の仕事を生業とする、いわゆる職業カメラマンになるために努力した時期があった。でもそれは難しかった。Nさんの言葉はそのことをさしているはずだ。現在、Nさんは地元の町役場の臨時職員として働いている。
「鹿児島での生活は、どう?」
僕は訊ねた。
「光が東京とは違うんですよ」
Nさんは思いかげず笑顔で力強く答えた。言葉の選び方が彼女らしく、写真を撮る人なのだと改めて思った。同時に鹿児島へ戻ったことを、きっと後悔していないはずだという確信のようなものを、その言葉から得た。
「東京での9年間、いま振り返ると、どんなふうに映る?」
きっと一言で答えられずはずもないと思いつつ、答えを待った。Nさんは少し考えた。
「なんだか渦巻きのなかにいたような気がする」
Nさんに初めて会ったのは10年以上前のことだ。ある日、突然僕の前に現れた。1999年の春のことで、いま考えても不思議な出会いだったと思う。
僕は新宿にあるペンタックスフォーラムというギャラリーで写真展を開いていた。その会場にNさんは前触れもなくやってきた。そして奇妙なことを口にした。
「 昨日、お電話した者ですが……」
電話をもらった記憶はなかった。
「どこに電話したんですか?」
「昨日、東京に着いて、電話ボックスの電話帳で小林さんの電話番号を調べました。小林スタジオ というのがあったので、明日写真展の会場に伺いたいのです、と電話で言ったのですが……」
まったく他人のところにかけた間違い電話だということがわかった。
「でも、明日お待ちしています、と言われたのですが……」
「えっ?」
「だから、電話にでた方が……そう言ったのですが……」
Nさんは緊張した顔で、大まじめに呟いた。嘘をついていないことだけは、よくわかった。
間違ったところへ電話をして、たまたまそれに出た人が、さらに何かと勘違いして、そう答えたのだろうか。でも、とにかくNさんは僕に会おうとして当時住んでいた京都から深夜バスに乗ってやってきた。そして無事会えたことになる。つまり目的を果たすことができた。
目的とは、僕のアシスタントになりたいということだった。将来カメラマンになりたいとも口にした。当時、僕にはすでアシスタントがいたので、雇うことはできなかったし、話をきけばまったく経験がないこともわかった。
それでもNさんからは必死さと熱意のようなものがヒシヒシと伝わってきた。普段だったら、「ごめんなさい」で終わらしてしまうことが多いのだけど、どういうわけかこのとき僕は、「東京にいる間に、よかったら一度事務所に遊びにきてください」と口にしていた。
そして数日後、Nさんは本当に履歴書を持ってやってきた。
| カメラで会いに行く | |
| 小林紀晴(こばやし・きせい) | |
| 1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真科卒業後、新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーに。1997年に『ASIAN JAPANESE』で脚光を浴びる。同年『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞受賞。現在、雑誌、広告、TVCF、小説執筆など、ボーダレスに活動中。作品集に『homeland』、『days new york―デイズ ニューヨーク』、『SUWA』、『はなはねに』など。他に『ASIA ROAD』、『写真学生』、『父の感触』、『十七歳』など、著書多数。 |
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