














プロフィール
1968年長野県に生まれ。東京工芸大学短期大学部写真科卒業。新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に『ASIAN JAPANES』でデビュー。1997年『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。現在、雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダーレスに活動中。写真集に、『homeland』、『Days New york』、『SUWA』、『はなはねに』などがある。他に、『ASIA ROAD』、『写真学生』、『父の感触』、『十七歳』など著書多数。

小林さんにとって八ヶ岳で写真を撮ることは大きな意味がある。長野県の諏訪で育った小林さんは、幼い頃からこの山々を見続け、幾度も登ってきた。もっとも長い時間眺めていたのは、さまざまな悩みを抱えていた高校時代。家の田圃に一人出かけ、そこから飽くことなく眺めていたのだという。
ここ数年八ヶ岳を撮り続けていた写真家が、その一連の創意を経て、あらためてデジタルカメラを手にした。故郷諏訪で撮影された作品群は、すでにかたちになり発表されてきている。その先に「小林さんの八ヶ岳」が現れはじめている
今回の作品はデジタルで撮られたものが大半をしめていますね。
ここまでしっかりとデジタルで作品を撮ってみたのは始めてです。デジタルで撮って発表してみたものはいくつかあるんですが、はっきりと意識してまとまった作品にしたのは最初です。
これまでは、山では中判を主に使ってきました。3年ぐらい八ヶ岳を撮ってきたのですが、被写体との距離感のパターンが、なんとなく決まってきているのに気がついたんです。風景に対しても、わりと受け身になっている気がしていて。それを、もうちょっと自分から風景や山にはたらきかけることで“より自分が関わっていく写真”を撮りたいと思うようになったんです。
デジタルの一眼レフをあらためて手にしたのは?
フィルムカメラの中判だけで撮っていると、何か“隙間”とか“気配”のようなものが逃げていく気がしたんです。レンジファインダーの中判を使ってきましたが、被写体にもあまり近づけないですから。そこも変化が欲しかった。
山で撮る写真は、僕の場合、風景だけだと面白くないんです。自分が何を八ヶ岳で撮りたいのかを考えました。それは子供の頃から思っていた、山に対する怖さだとか、「何かがいる」という感じ、畏敬の念とか。本来人間が住んでいるところとは違う、何がしかのもの。それが撮れないかなと。それには中判だけではもの足りなくて、35ミリで向かってみたくなったんです。ストロボもそれで使って撮ってみたくて。それには、その場で確認できるデジタルがよかった。実験的というか、とりあえず現在進行形です。
ストロボやライトを意図的に当てている写真もありますね。
そういう、「作ろう」とする部分は、ほかの小林さんの作品とくらべても、より実験的というか。小林さんのなかで創作の過程が動いて来ているようですが。
そうですね、僕はこれまであまりそういうことをしたことはなかった。あるものを撮っていくことが多かったですから。
4枚目の写真は、顔の正面にストロボを持って立っているところを撮っているのですか?
僕が発したストロボの光に反応し、もうひとつのストロボが同調して光っているんです。彼はフリーターの青年です。何度か一緒に山に登ってもらっています。
こういった撮り方をした必然というのは?
僕の頭のなかに、何か光っている人のイメージがあったんです。頭のなかにあるものを現実の作品にしたいところが僕にはあるので。ただ、これまでは、あまりあったことじゃないんですが。白い服が光っている写真を撮ったのも、人のかたちに白く飛んでいるイメージがあったからです。八ヶ岳をフィルムで撮ってきたのですが、自分が頭で描いているのと、どうも違う感じでした。中途半端なまま、試行錯誤していた。フィルムのカメラだとストロボの光がどう入ってくるかわからないところがあって。夜はピントも合わせづらいですし。デジタルだからやってみようとしたわけです。一方で、かちっとしたポートレートも撮りたくて、そこではフィルムで、中判を使っています。

レタッチについてはいかがですか。
ネガの場合と同じ感覚です。自分がプリントするぐらいのことをやっています。やはりフィルム育ちというか。しかしまだデジタルは詳しくないので自分が暗室でやっていたことくらいはやりたいと思うんです。明暗の微調整、簡単な焼き込みだとか。しかしカラープリントで焼き込むには、ここまでは上手くはできないです。デジタルでは、焼き込みが微妙なところまでできるのかなと思います。
タイトルの由来について、おしえて下さい。
彼の耳たぶの一部がそうなっているところからなんですが、諏訪の古い民俗に関する本のなかに、片耳の鹿の話が出ていたんです。それは神さまに捧げる鹿なんですが。諏訪の七不思議のひとつです。それも思い出してつけてみました。ちょっと面白いでしょう。
このシリーズのいくつかの写真を見たある人に、「セルフポートレートみたいだね」といわれました。なるほど、そういう考え方もあるか、その通りだなと思いました。自分で自分は撮れないから、彼が自分のかわりになる人だという意識はありますね。ヘッドライトをつけてシルエットになっている写真は、「自分を撮っているんだな」と思いました。 ただ、まだよくわからない。到達点はわからないですね。これからも彼をつれて八ヶ岳に登るつもりです。
15点の構成について、きかせて下さい。
いつ登ったときに撮ったのかは、自分のなかであまり重要ではないんです。朝から昼、そして暗い闇の中に落ちて行く、という流れで組んでみました。
この登山コースは、僕がいちばん最初に八ヶ岳に登った、中学2年のときに歩いたのと同じコースなんです。美濃戸口から赤岳鉱泉というところまで。中学2年といえば、14歳ですか。それから今まで、その道だけで27年間の間に10回ぐらい、その道を通っています。中学生のころから会社を辞めてすぐ。その後行かなかった時期がぽっかりあいているんです。20代の真ん中ぐらいから、つい3年ほど前までは、まったく。会社時代がいちばん登っていましたね。父親と登っていたこともあるし。
かつての事を重ねるというか想い出すんですよ。厳密にいえば、山道のことは憶えていないです。記憶を反芻するような感じで。
小林さん作品のなかでも、とくに内省的なまなざしが込められているようにも思います。
歩いているときすることがないんで、もの思いにふけってしまうんですね。急な上り坂とかでなければ、たんたんと歩いていくわけで。その間、何かしら考えごとをしているような感じで。そういうのは、旅に似ています。旅先だと時間があるし、よく考えごとをして。知らない人のなかにいたり、外側に向かっているのだけれど、実は一方で内面に向かっているような感じでしょうか。ふと、我に返るというか。
八ヶ岳のなかので、ということが特別なのですね。
そうですね。ほかの場所でやることはできないですね。
今後はどのように撮られますか?
僕のなかで、季節はあまり関係がないんです。冬は重要ですけどね、雪があって。でも、あとの季節はあまり違いがでない。そこはあまり考えていないんです。分けるとしたら、冬とそれ以外でしょうか。とりあえず、雪がふる前に、もう一度行こうかと考えています。もちろん、これからもたくさん行きたいですけれど。でも今は、まだゴールが見えていないですね。
(聞き手・写真:編集部)
