中野正貴 Masataka Nakano

撮影データ
コマーシャルエクター 8in1/2 F6.3/ペンタックス67・50 mm・40 mm/ニコンF5・Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28~70mm F2.8D(IF)/コダック160NC・160VC・400NC

プロフィール
 1955年8月2日福岡県生まれ。56年より東京在住。1979年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業。写真家・秋元茂氏に師事後、1980年に独立。以来、エディトリアルや広告の撮影で活躍。変貌し続ける人口過密都市「東京」が無人になる瞬間を追い求め、8×10の大型カメラで10年余をかけ撮影した写真集『TOKYO NOBODY』はベストセラーに。『東京窓景』で第30回木村伊兵衛賞を受賞。写真集『MY LOST AMERICA』により、さがみはら写真賞2008 プロの部最高賞を受賞。ほかの作品集に、『CUBA Dia y Noche』『SHADOWS』『TOKYO FLOAT』など。

インタビュー Interview

より深く、写真と自分に向き合う場所で

 大阪は、いろんな取材で出かけるたびに、いつも気になっていて、いずれはしっかり撮りたいと長いこと思っていました。僕は東京から車で向かうわけですが、大阪環状線を通って、はじめて大阪の街へ入っていったら、まずびっくりしますよね? とくに、ビルの屋上にある、あの観覧車。夕方ならば、ビル群のなかに、観覧車がぐるぐる回っているのがいきなり目に飛び込んで来る。なんというか、大阪の街自体が玉手箱というか、すごくわくわくする感じがあるんですよ。不思議な街だなあ、と常々思っていましたね。


中野さんはずっと東京育ちですよね。

 そうです。だからニューヨークでもロンドンでも、アジアの街を見るときでも、僕は、「自分は日本人で、東京に住んでいる」という目で見ていますね。すると「ここは東京と似ているな」とか、「東京とは違うな」とかいう目線になる。大阪にしても「ああいう観覧車がのっているビルは東京にはないなあ」という見方になるわけです。かつて六本木の商業ビルだったか、やはりコースターが設置されたけれど、周辺から苦情が来て、すぐに営業停止にされたことがありましたよね。あの感じが東京なんですよね。でも大阪だと「それは、面白いやん!」みたいな感じがある。

 

確かに、そういう違いは大きそうです。

 大阪が東京とくらべて、どこが面白いかといえば、そういう「自由さ」ですかね。面白いものはゆるされる、という。古いものをがっちり守る体質の部分と、何か変わったものが入ってきたときに、自分たちの基準で面白かったらよしとする部分があるし、それとも「これは絶対アカン!」とすることもある。東京だと「なんか苦情が出ているんですよね」なんて、誰かほかの人がいっているようなことをいうでしょう? 大阪のほうが、基準がはっきりしている。大阪は、ようするに、自分たちの好き嫌いがはっきりしている。僕は、そういう、はっきりしているところが、大阪の街にもあらわれていると感じるんです。すごく人間が透けて見えてくるから面白いし、街としてとにかく魅力的ですよ。人間味が溢れていて。

 

実際、街を撮るときはどういうアプローチを?

 極端にいうと、昼間行って撮る写真と夜行って撮る写真と、二回あるんですよね。街を撮るときには、必ずその二回をやってますね。昼見て、夜見る。でも、あらかじめ調べてから行くわけじゃなくて、本能的というか、犬の勘みたいな感じで、面白そうだと思ったところへ行くんです。それを夜やっていると、昼行ったところと同じ場所に出ちゃったりする。だから面白いと思った方向に自分が導かれてくと、結局のところ、昼夜両方撮っているんです。それは東京でも同じで、地図もあまり見ないし、地名を言われてもよく分からない。大阪でも、何を撮るとは決めていなかったですね。何だか分からないけれど「そこには面白いものがある」という、自分的なキーワードみたいなものが、街にはある。別に何があるから面白い、というわけじゃないけどね。商店のつくりだったりとか、歩いている人だったりとか。

 

小林紀晴

反対に導かれない街は?

 あまりに近代的なところですかね。都市計画がきっちりできている街では、嗅覚が働かないというか。逆にそういう街は、情報がたくさん入っちゃっているから、情報で見てしまう。それと、いまでは日本のいたるところがそうだけれど、初めて行った駅なのに、駅前からどっちに行けば薬屋がありそうだなとか、すぐ分かるつくりになっているでしょう。それでいえば、大阪は、意表をついてくる感じがある。建物の裏に「ええっ?」みたいなものが、突然出てくる。期待を見事に裏切ってくれる、そういう楽しさがある。 それと「アジア」だという点。僕はずっとアジアということに興味を持っているけれど、アジアの原点のような生活が大阪にはあると感じるんです。人と人のつながりがあって、人情味も深いから。なのに、空中庭園みたいなものが突如できていたり。その両極端の振れ幅が大きくて、すごく魅力的。いいところも悪いところも幅があるほうが面白いじゃないですか。自分たちなりの基準をもっているから、次へ進むときに、どうすべきか把握ができている。住んでいる人が、時代が進んでいることにちゃんとついていっていると思う。でも残すところは頑固に残している。そういう意味では、新しいものが飛び込んできても、受け入れられるというか。将来のことをいうと、東京より大阪の方が、そういう柔軟性という意味で、可能性があるんじゃないか。そこで大阪の大事さが、自分のなかでクローズアップされてきたんです。

 

ネガフィルムの表現にこだわるのはなぜですか?

 たとえば夜の風景を撮っても、ポジだときれいに写りすぎる。見た目ではすごく真っ暗だったのに、ポジだとどうしても明るく撮れていたり。それがネガだと明るく撮っておいて、戻す感じができる。「真っ暗だったが、何かが見えていたな」という写真にしようと思ったら、それが何ものかが分かるように一回出しておいて、もう一回実際の暗さに戻す必要がある。それと、ポシは明暗のメリハリを勝手につくってくれることがあるけれど、ネガはラティチュードの問題で、人間の目に近い画面をつくっていける。だから見た印象を写真に戻そうとすると、自分が見たときの印象に近づける作業をプリントでするんです。

 

今回の作品は、フォーマットもカメラもばらばらですね。

 自分の場合は感情優先というか、フォーマットがいつも動いてしまうんですよ。 人から入るなら、中判ぐらいの感じ。大阪では三脚を立てて4×5で人を撮っていたりしたね。意識としては風景と人を同じようなラージフォーマットで撮る感じ。物理的に不可能なときは6×7で撮るとか。それと、大阪だからこそディテールが見たいということがある。東京にくらべたら大阪の方が変な質感が入り込んでくる感じがしますよね。

 

まず人から街を見るということでしょうか?  
 都市を撮ろうとするときに、風景から入っていくことは自分のなかで普通のことなんだけれど、『TOKYO NOBODY』も、風景そのものではなくて、いなくなった人の方が主題。あの写真集は、そこにいない人たちを想像するものだったんです。だから、常に僕の興味は「人間」なんですよ。風景写真作家のようにいわれることがあるけれど、僕の主題がどこにあるのかというと、そこに生活している人たち、ということなんです。


(聞き手・写真:編集部)

小林紀晴
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