大山 高 Takashi Oyama
Location Coordinator(TAKE2) / Keith Saikawa氏(写真左)とSamy’s Camera の駐車場にて。
照明機材を積み込んでホッと一息の図。「図々しくも、見知らぬロスのプロカメラマンにシャッターを
押してもらいました」

撮影データ
CANON EOS 40D
CANON ZOOM LENS EF-s 18-55mm 1:3.5-5.6 IS

インタビュー Interview

1時間でも時間があれば……

アサヒカメラ.netの公式コンテスト「写真の殿堂」では毎回、熱心に講評して頂きありがとうございます。今回はご自分の作品の発表となりました。ロサンゼルスでのストリートスナップということですが、ロスにはお仕事で?

 そうです。3Dテレビに関する新聞広告の仕事で、ハリウッドにある技術研究所に行きました。

スケジュールがかなりタイトだったそうですね?
 全部で3テーマ撮影しなくてはならなかったのですが、入稿までのスケジュールがあまりないタイミングで、取材の範囲をロスにまで広げることになったため、まさに綱渡り的な進行になっていました。大阪で撮影して、翌日に「写真の殿堂」の審査をして、次の日にはロスに向けて飛び立つ程でしたからね。

そのような状況の狭間で今回の作品を撮るのは、ご無理があったのでは?
 そうですねぇ……きちんと腰を据えて作品を作るという意味で言えば模範にはなりません。でも、これはいいチャンスだと思いました。常日頃、アサヒカメラ.netのメンバーの方々には、「直感的に撮りましょう」とか「肉体的な反応が優先します」とかエラそうな事を申し上げていますでしょ? 瞬発力だけで、どれほどの写真が撮れるものか?……自分を試してみたかったのです。今回ラッキーだったのは、ロスの中でも人通りの多いところに宿泊で出来たことです。ちょうどアカデミー賞の授賞式を週末に控えて、コダックシアターの前はその準備で大わらわでした。泊ったホテルは、世界中から集まった取材クルーで満室でした。

自分に課題を与えた作品づくりだったのですね。では実際に撮影に至るまでのお話をきかせて下さい。
 ざっとこんな流れです。成田を夕刻に出発すると、日付変更線を越えるので同日の午前中にロスに到着します。徹夜明けなのに、もう一度昨日をやり直すような、奇妙な感覚になります。昼頃、ホテルにチェックインして、すぐにランチです(写真、上から3枚目まで)。ランチの後は、クライアントの都合により夕方の打ち合わせまで自由行動となりました。実は、「写真の殿堂」の講評原稿も〆切がせまっていました。私は、みんなと別れてホテルに戻ることにしました。ランチをとったダイナーは、ホテルまで歩いて15分程の距離です。お店を出た途端、出会った光景がこれですよ(写真、上から4枚目)。これはもう撮らずにはいられない(笑)。それから「1時間だけ」と決めて、回り道をしました。

その1時間で撮影した作品なのですか?
 加えて、翌日に少しだけチャンスがありました。その日は、仕事の方の撮影現場を下見し、照明機材をレンタルする予定になっていました。機材を積み込んでから、照明にかけるフィルターをとめるのにピンチが必要なことに気づいたのです。日が暮れる頃、ドラックストアに立ち寄って木製の洗濯バサミをさがそうと。それで買い物自体はコーディネーターにお願いして、私は駐車場で作品を撮影していました。

それはどのくらいの時間ですか?

 正味20分程です。光もぎりぎりでしたしね。しかし、それが返って良かった。ドラマチックな光線でしょう?(写真、上から5枚目)写真は、撮りたいと感じた瞬間にシャッターを押さないと。後戻りは出来ません。理屈よりもまず撮る。衝動写真のススメと申しております(笑)。撮影の時は、本能に従い率直に反応することが一番大切だと思っています(写真、上から6、7、8枚目)。私はどちらかと言うと撮影前にあれこれ思い悩むタイプですので、これは、自分自身への戒めとして心がけるようにしています。
 今回の写真は、作品制作としては極端な例です。しかし、写真の殿堂に応募されているメンバーの多くは、たとえばサンデーカメラマンとして、時間のない中で作品をつくられている。そうした方々が、毎月応募してくれているのだからと奮起しました。
 私にも、5年、10年のスパンで撮影しているテーマがあります。しかし、写真家の本質は、一瞬の判断、取捨選択と継続する意志にあると考えています。あとはしつこく、それらの反復です。写真を生む作業工程って、絵画のように色を塗り重ねていくうちに徐々に厚みが増すというのとは違う気がするんです。まずは、現場に立って、世界の断片を愚直に拾い集めることから始まりますよね。そして重要なのは、その後です。撮ること以上に、何度も何度も写真を見直し、吟味する。選ぶという作業を撮影と同じくらい大切にしています。今回も構成にはたっぷり時間をかけました。写真を構成していると、どんなに良いと思っても捨てる作業がついてまわります。この時が一番辛い。しかし、この苦しみを経てこそ、作品へと昇華するのだと思っています。

お仕事としての撮影は緻密に設計された上で撮る広告写真」が中心ですよね。一方で、作品発表ではスナップショットが多いのはなぜですか?

 そうですねぇ……ものづくりに対する自分の志向性を降り返ると、少年時代は演劇をやったり、8ミリで自主映画をつくっていたことがありました。ですから、もともとは作り込む表現の方に興味は向いていました。それは、操上和美さんのアシスタントを経て、広告写真を長く続けている今の僕の仕事に繋がっています。一方で、作品写真ではどうかとなると、写真学校で本格的に鍛えられて変化していきました。たとえば、須田一政さんの写真との出会いも大きかった。「角の煙草屋までの旅」を見て驚きましたね。鋭いスナップショットによって、日常の中でありきたりに流れさっていく光景が“止められる”。写真のなかに止められたそういう光景って、とってもシュールなものに見えてくるわけです。そこに気がついてしまった。操上さんのVANの広告写真にも、通じるものがあります。

撮ることで、世界を一瞬にして“止め”、それが写真の中に“留まる” わけですね。

 そうです。それは写真だけが表現できることだと、強く確信しています。ちょっと難しくなりますが、僕自身の想いを話してみます。……かつて東洋的な哲学やものの見方に興味をつのらせたことがありました。かいつまんでいうと「良い」「悪い」とか「正しい」「正しくない」という、西洋的な二元論的な世界の見方とは異なるものです。ある視点から見えていたものも、視点を変えていくとまったく異なる表情をさまざまに見せてくる……。
 それと操上和美さんのアシスタントをしていた時に広告の撮影を通じて、ホーキングさんをはじめとするノーベル賞をとられた博士たちにお会いできる機会があり、物理学の最前線の本を随分つっこんで読んだりしたのです。すると、東洋的な哲学と現代の物理学の先端が同じようなことを語っているのがわかった。たとえばこういう話です。鉄の塊のように留まっているものでも、極小の世界では振動している。だから打ち寄せる波や空を流れる雲と同じように、物質も運動と躍動を続ける。こういうことを、僕の感覚がどこかで認識してしまったのです。

なるほど。それから「撮る」姿勢自体が変わっていったのですか?

 人物撮影が得意なように思われていますが、商品撮影も好きです。洋服の置き撮りは、かなりの量をやりましたし、料理や化粧品、家電製品、建築写真もけっこう撮っています。物撮りっていうのは、ライティングしていくと、被写体の表情がどんどん変化します。スッピンの顔に化粧を施していくようなものです。しかも、その間に、物はじっとしているように見えて、粒子レベルでは振動している。そのバイブレーションを感じると、「いま撮って!」という声が聞こえてくるようになりました。物撮りにしても、僕にとっては、流れ行く雲とどこか同じなんですね。どんどん表情がかわって、留まることはない。
 広告写真の場合は、その一番いい時に焦点を合わせますが、自分の作品の時は違います。「ダルマさんがころんだ」という遊びをしたことがあるでしょう?あの中途半端な瞬間やズレを、撮ることで止める。それは写真にしか出来ない。そういう考えが自分のなかで大きくある。その最たるものが、ストリートスナップじゃないのかと。
 監視カメラで銀座の交差点を撮りっぱなしにして、それを一枚一枚スライスしてみても面白いと思いますよ。でも写真の方がもっと面白い。なぜなら写真は撮り手が自分の身体を使って、その場に立ち会っているからです。僕は、托鉢のお坊さんにとても興味を持っています。お坊さんが群集のなかで佇んでいる。人の流れや気の流れを感じ、反応している。彼らは、念仏を唱えていますよね? あれは、街の中なりで、あるバイブレーションがお坊さんに届いていたとして、その電波のようなものをキャッチするために、お坊さんが自分自身の“ラジオ”と合わせるきっかけになっているように感じます。街中で写真を撮ることって、ああいうことなんじゃないかなと思うんです。

念仏を唱えることは、街と同期するためのチューニングの働きをしている ……と。そして、街でストリートスナップを撮るには、被写体と同期しないとちゃんと写らない。そういう意味ですか?

 そうです。写真を撮るときに、よく「シュートする」っていうでしょう。でも僕は、写真って狩猟的なことではないと思います。僕の中ではどちらかというとお布施を頂くような行為なんですよね。

そこに大山さんが思うストリートスナップの面白さの芯があるわけですね。

 そうですね。“お布施を頂いたような”ストリートスナップから立ち表れるものには、「誰々さんの表情がよく写っている」という観点とは、まったく別次元の何かを感じるのです。そこが僕にはたまらなく面白いのです。写真芸術をリアリティとして知覚する瞬間です。

 

※編集部注釈:

このインタビューは、3月分の写真の殿堂選考会の後に行ないました。「選者より総評にかえて」の記事と合わせてご覧いただくと、より楽しめると思います。

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